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2020/08/15 15:23
ミケランジェロはレオナルドダヴィンチ、ラファエロと一緒にルネサンス三巨匠のひとりとして数えられる本当に素晴らしき偉人ですが、実は、相手が先輩だろうと、教皇であろうとお構いなく歯向かっていくようなかなりとがった人間だったのです。いうなればまさにヤンキー。しかし彫刻家、画家、建築家、デザイナー、詩人といった様々な経歴を持ち、どれも恐ろしいほどの才能を持った稀代の「エリートヤンキー」だったのです。
1961年撮影(ミケランジェロの墓があるサンタクローチェ聖堂)
ミケランジェロは1475年3月6日にフィレンツェ近郊の村で役人の子として生まれました。その後、13歳のころから芸術の道へと入っていき、そこで才能を開花させたミケランジェロはかなり天狗になります。そして共に芸術を学んでいたピエトロ・トリジャーノの作品を見た時馬鹿にしてしまいます。すると彼もミケランジェロのこれまでの態度にイライラしていたのでしょう、トリジャーノはミケランジェロの鼻に向かって思いっきり殴り掛かります。よほど綺麗にパンチが入ったのか、その結果ミケランジェロの鼻に骨は折れ、生涯鼻は潰れたままになりました。
またミケランジェロは23歳年上のレオナルドに対しても常に対抗心むき出しです。そこにはミケランジェロが彫刻を一番と思っていたことや、単に作風の違いからなのかは様々な諸説がありますが、23歳も離れた偉大な権威者に大々的に敵対心を出せるところはまさに彼の尖り具合を感じさせます。
ミケランジェロは当時の最高権力者の教皇にも歯向かいます。ミケランジェロが教皇から自身の霊廟の建築依頼を受け、霊廟を作っていた際、依頼しておきながら教皇自身が霊廟の完成に対する興味が薄れていくのを感じたミケランジェロは反抗してローマから去ってしまいます。その後二人は和解し、有名な『最後の審判』の制作に繋がることになります。しかしここでもミケランジェロのジャックナイフがさく裂します。完成間近にローマ法王庁の儀典長ピアージォに『最後の審判』の作中の人物が裸体だらけなことを非難されますが、さすがミケランジェロ。決して裸体を訂正はしませんし、むしろピアージォを作中に登場させています。しかし蛇に頭をかみつかれた状態で。また余談にはなりますが、その後教会はやはり裸体を隠すようにミケランジェロの死後、作中に腰巻を加筆しましたが、1993年の修復で腰巻は取り除かれオリジナルの裸体の状態で復元されています。
エリートヤンキーとしての「エリート」の方の一面と言えばやはり『ダヴィデ像』や『ピエタ』といった数々の圧倒的な彫刻を残した彫刻家としての面でしょう。男性なら一度は『ダヴィデ像』のあのスタイルと筋肉隆々としたボディに憧れたのではないでしょうか。あのメンズファッションの見本市 PITTI IMMAGINE UOMO も元は「誰が一番ダヴィデ像に合う服を着せられるか」を競い合ったのが始まりだとか違うとか。また他にも彼は生涯多くの詩を残しており、詩人としての一面もあります。そしてヴァチカンを守るスイス傭兵のユニークな黄色や青色を用いた服装をデザインしたのもミケランジェロと言われています。
そんな彼も自身の才能は努力によるものとしていて、数々の言葉を残しています。
「主よ、私がいつも、なしえる以上のことを望むことを許したまえ」
「やる価値のあることなら、たとえ最初は下手であっても、やる価値がある」
「私がこの芸術の域に達するまでに、どれほどの努力を重ねているかを知ったら、芸術家になりたいとはだれも思わないだろう。」
「優れた芸術を創造し、優れた仕事をするためには、一生懸命にひるまず働くことだ。」などなど。
ミケランジェロは決して譲らない姿勢で何度も模索をし続け芸術というものを貫き通しました。それ故にこれほどの偉業を成し遂げられたのでしょうね。